natural-ring コイデなきもち。。。

自然とのつながりを感じていたい。日常で出会った環な気持ちを綴ります。

エコプロ出展記(設営編)

木材価格の低迷でスギやヒノキの間伐は進まず、都会では花粉症で苦しむ多くの人。ガスや石油、電気の暮らしに変わったことで雑木林も放置され、藪となって動植物が絶滅の危惧に瀕し、定期的な伐採が行われず太くて大きくなったコナラやクヌギは、ナラ枯れ病に襲われ、全国的に蔓延。

山では暮らしが成り立たず、若者は都会へ降り、残った集落では高齢化と過疎化が進行。老齢となって山の手入れどころか、庭の手入れも行き届かず、藪が家の周りを被い、「山が襲ってくる」と嘆く老人。

国土の67%が森林で、木材をエネルギーに使う暮らしが広まれば、人工林の間伐や雑木林の若返りが進むのに。。。そんなことをずっと考えていたときに起こった、福島原発事故。

持続可能な自然エネルギーとして、木材を使えば山が奇麗になり、地域経済も活性化され、山が元気になる!

私たちの団体では「薪」を通して都市と農山村をつなぎ、美しい森林の再生と地域の活性化を目指す、薪まきネット「薪バンク」プロジェクトを今年の7月から進めています。このプロジェクト紹介のため、12月13日~15日、東京ビックサイトにて開催されたエコプロダクツ2012に出展してきました。

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12日水曜日、朝10時に会場に入り、自分たちが出展するテーマゾーン「森林(もり)からはじまるエコライフ展」の設営。大企業のブースでは、トラックが会場内に入り、色んな職人さんが忙しそうに設営しています。駐車場は関東中の職人さんが正月の餅代を稼ぐためにやってきたのか、ワンボックスがズラッと並んで、ワンボックスカーのショーみたいです。それにしても、シャッター全開で暖房も入っていないため、いてつく寒さ。

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自分たちの展示コーナーは、全体的に組手什(くでじゅう)というスギの間伐材の板を組み合わせてパーテーションやテーブルを作る仕様だったのですが、板を何枚も交互に組み合わせて作るため、木槌でたたくと組み合わせた他のところが外れて、イラっとします。黙々と組み合わせ作業を続け何とか完成。あれ?4枚目の組み合わせ部分が外れているぞ!と思いつつも、もう良いやって見なかったフリで済ませます。

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1.8m×1.8m(1間)のとても小さいブースですが、この狭さがなんとも心地よく、温かみのあるブースが完成しました。

3日間の出し物のメインは、来場者に手動式の薪割り機を使って薪割り体験。小さなブースに、この「マシン」は目を惹きます。それと、箱の中にドングリや木の実を入れ、手を入れて何かを当てるブラックボックスという遊び。聞くところによると、午前中は観光バスに乗った小中学生たちが社会科見学と称してウジャウジャやってくるということ。たしかに先生にとっては、集合時間と集合場所を決めておけば良いし、教育委員会もエコを学ぶということで予算を付けてくれるのでしょう。

夕方5時過ぎに設営を完了し、明日からの本番を想像しながら帰途につきました。

さてさて、本番の3日間の様子は、次回に報告させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

薪割り機

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いよいよ、落葉かきのシーズン。

雑木林では、コナラやクヌギ、イヌシデなどの落葉が地面に毎日降り注いでいます。これからの数カ月、せっせと落葉をかいて、腐葉土づくりの日々です。時には子どもたちと、時にはご年配のボランティアの方々と。溜めた落葉は腐葉土となり、カブトムシの幼虫たちのご馳走になります。

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落葉が積もっている地面は暖かそうなのですが、それは表面だけのこと。地面は濡れた落葉で冷たく湿っています。落葉をかくと、地面に太陽の日が射し、地温が高くなることで植物たちが活動をはじめます。

腐葉土を作るために落葉をかくことが、カブトムシや野草の生息環境を作っているのです。

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また、冬は森の若返りをするための伐採シーズンでもあります。みんなで大きなノコでゆっくり切り倒し、シイタケの菌を打ったり、薪を割ったり、やることが沢山です。

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先日の町田の活動では、子どもたちは薪割りにチャレンジしました。とはいっても、一人でやるのは5年生以上。斧を持たせ、自分が後ろから手を携え、狙うところや足の位置を確認したあと、一人で振り下ろします。簡単なようで狙いが外れて割れません。スイカ割りじゃあるまいし、両目を開けてても外してしまう。それでも、時々うまく薪が割れたときには、とびきりの笑顔が弾けています。それにしても、1回斧を振り下ろすのに3分くらい時間がかかってしまい,、埒があきません。

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こんな調子だから、昨年伐採した木の薪割りが進まず、林の縁は丸太が山積みされています。今年も伐採する時期に来てしまい、去年分の薪割りを少ないスタッフの人力でやるのかと思い悩んでいたところ、ふと「薪割り機」に気づき、ネットで調べて18900円で購入しました。f:id:hitoshi-k:20121202153010j:plain

 とても軽い手押しの油圧シリンダーを伸ばし、薪を割る。シンプルだけど、斧を使うより安全で疲れず、しかも簡単。こういう機械に子どもは夢中になるんですよね。これで作業効率が一気にアップすることでしょう。きっと。。。

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13日の木曜日から15日の土曜日まで、東京ビックサイトで行われる、エコプロダクツ展2012にて、自分たちの活動紹介と、この機械で薪割り体験してもらうブースを出店します。

時間があったら、是非お越しいただき、ウォーリーを捜せのごこく、広い会場内からこの薪割り機を見つけ出してください。とびきりの笑顔でお出迎えします。

 

 

 

晩秋の寺町散歩

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何故か、人気のいないお寺や神社を訪れると、心が落ち着きます。

しんと静まり返った空間だけでなく、目に見えぬ何かに包まれているような感じがしてなりません。

晩秋の休日、十数年ぶりに烏山寺町を散歩してきました。

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ここは、関東大地震によって上野周辺にあった多くのお寺が、烏山に移ってきたところで、今では東京の小京都と言われています。最近は、仕事で関係のあるお寺した行くことは無かったので、たまたまポッカリと時間が空いたのを幸いに訪れました。

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メイン通りから横に入ったところにある小さなお寺。山門の名に惹かれます。聞くところによると、この木戸、幕末の騒乱時に受けた傷があると言われていますが、風化しているせいか確認できず、虫が掘った穴だけ発見しました。

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称往院の山門横には、昔、寺の弟子が打つ蕎麦が有名になりすぎて、修行に支障をきたすと当時の住職が蕎麦打ちを禁止した碑があります。どんなに美味しいものだったか、蕎麦好きの身には気になります。褒められると、勉強や仕事そっちのけで夢中になってしまうわが身を振り返ると、耳が痛くなります。

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大きなケヤキが、伸び伸びと枝を伸ばしている専光寺。この墓地には、美人画で有名な浮世絵師の喜多川歌麿の墓地があります。

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本名は北川。お花が絶えず供えられているそうです。グラビア雑誌など、美女メディア関係者には聖地なのでしょうか。寺町人気のスポットです。

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続いて、幸龍寺。ここには、国歌に歌われる、さざれ石があります。石灰質の小さな石が、長い時間をかけて溶けだし結合した一つの岩となっています。千代に八千代に、苔むすまでって、いったいどんだけの時間なのか、想像もつきません。

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築地の本願寺とよく似た妙祐寺。夕方は門を閉めて、犬を遊ばせていました。

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門前のイチョウの黄葉が際立つ妙寿寺、山門をくぐると、東日本大震災で倒れた石灯籠が横たわっていました。地震の怖さと、東北の「今」に思いがめぐります。

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鍋島藩主の御屋敷が移築され、お寺なのに独特の雰囲気を醸しています。

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境内には、江戸時代の鐘も残されています。戦時中、金属は強制収容され、お寺の鐘はもっぱらの標的だったようですが、名工が作った代物のため、残ったと言われています。鋳造技術の巧みさ、見ただけでも解かる気がします。

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のんびり歩いていると、気付けは3時間。寺町の最終地である高源院に到着。このあたりは、関東ローム層の浅いところに宙水という水がたまるところがあり、そこから湧き出た池がここにあります。このお寺の別名はカモ池。遠い昔、自転車の初めての遠出して、真冬に色んなカモを見にきたことを懐かしく思い出します。

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今では、池が浅くなり、一面に繁茂したコウホネスイレンのため、カルガモしかみられなくなってしまいました。その代わりに、いつの間にか増えた亀が天気の良い日は、並んで甲羅干しをするカメ池になっていました。

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3時間の秋の小京都散策。まだまだ色んな見どころがあります。カモ池から出た水路を暗渠にした小径では、色々なツバキが咲き始め、冬の訪れを伝えていました。

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なんとも浄化された気分になったのか、帰宅後のビールはいつもより美味しく飲みすぎてしまいました。合掌。

 

 

 

 

 

 

 

消えゆく近代建築

いつもの通り道をちょっと変えたら、とても素敵な風景と出会うことがあります。

先日、気分を変えて違う道を曲がった先に、美しい洋館が目の前に現れまました。

空色の南京下見板張り、白い窓枠、屋敷周りの木々の緑、そして秋空。とても奇麗なコントラストで、慌ただしく歩いていた足を止め、しばし見入ってしまいました。

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この洋館、元々は明治から戦後にかけて衆議院議員を務めた「憲政の神様」と称された尾崎行雄(雅号は尾崎咢堂)が、外国人のお客用に建てたもので、後に現当主の先代の方が、その美しさにほれ込んで購入し、今の場所に移築したものだそうです。

 

明治から昭和20年までに建てられた建物を近代建築と呼びます。純和風の家から、和風の玄関横に様式の応接間を設けた和洋折衷型、壁をタイルやモルタルで塗り、屋根をスペイン瓦やフランス瓦で葺いた洋館など、色々なスタイルの建物があります。また、当時の建物は内装も大変手の込んだつくりが見られ、板を1枚1枚寄木したフローリングや階段手すりの装飾、照明器具などの調度品の随所に職人の技が光ります。

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しかし、生活様式の変化により現代の暮らしに不向きになったことや、老朽化などにより次々と消失しています。世田谷区内では、1983年度から1985年度に教育委員会が行った調査によると、1745棟が確認され、2001年度から2009年度にかけて財団法人世田谷トラストまちづくりが行った調査では、1463棟が新たに発見され、合わせて3208棟の近代建築が確認されましたが、その後の追跡調査により、2011年に現存していたのは1223棟だったそうです。今後も減少の一途をたどるのでしょう。

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近代建築の保存については、国の登録文化財地方自治体の文化財指定などの制度があり、保存修理への補助や税の減免などを受けられますが、指定されるには、それなりの理由が必要なのと、指定されると制約も生じるため、登録に応じる所有者が少ないという話を聞きます。建物はよほど所有者が愛着や思い入れがないと残していくことは難しく、ある日、見慣れた建物が忽然と消えて更地となっていることがしばしば起こります。

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先日、東京駅が建築当初の姿に蘇ったことが話題になりました。再建までの道のりはテレビなどで紹介されていましたが、そこに至る苦労は並大抵のことではなかったことと推察されます。空襲で焼失した3階部分も復元され、2階のレンガと3階の真新しいレンガがくっきりと浮かんでいました。数十年後、もしかしたら100年後には、同じ色合いとなるのでしょう。100年後にも、今の姿が残されていることに、ロマンを覚えます。

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東京都の小金井公園では、近代建築を移築復元して公開していますが、そこには人の匂いが感じられず、訪れても何か物足りなさを感じます。家族の歴史や街の移り変わりなどを静かに見守り、地域の物語を今に伝える近代建築は、そこに現存しているからこそ、その価値を高めるのではないかと自分は思っています。

 

それでも、残念ならが解体される建物については、教育委員会の方たちが記録調査を行っているそうです。場合によっては、調度品を譲り受け、保存しています。成城4丁目の野川に沿って桜並木が続く所にある、世田谷トラストまちづくりのビジターセンターでは、12月28日まで「世田谷のまちの成り立ちと近代建築展」が開催されています。近代建築と街の移り変わりや建物写真をパネル展示するほか、当時の照明器具とガスストーブなどが展示されています。

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深まりゆく晩秋の休日、桜の紅葉を見がてら、訪れてみてはいかがでしょうか。

http://www.setagayatm.or.jp/trust/map/vc/index.html

 

 

ドングリ遊び

日に日に秋が深まってきました。里山では烏帽子の形が可愛らしいけど、全草猛毒のヤマトリカブトが咲いています。

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今年の秋は、ドングリが多いように感じます。成り年でしょうか。たくさん成ると2年間はあまりできません。もしかしたら、来年もっと成るかも。

毎月2回、町田の雑木林で学童を対象に行っている里山キッズ活動。今回は雨の日のプログラムのクラフト用に、みんなでドングリ拾いを行いました。

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林の中には、大きなコナラのドングリがあちこちに落ちていて、どれだけ多く拾えるか、ドングリ拾い競争になり、みんな一生懸命に拾っています。

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わずか15分で、たくさんのドングリが拾え、ゴミを取り除いたら、一度茹でてドングリの中に入っている虫をやっつけ、乾かします。でも、こんなに沢山拾えたので、せっかくだからその場でドングリ笛を作ることにしました。

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ドングリのお尻の部分をコンクリートの地面で擦り、中身を釘でほじくり、釘の頭で中身を全てかきだします。

口の下にドングリの殻をつけ、息をふきかけると、ピーっという音が出ました。

一人が笛を鳴らせると、もうみんな夢中になって中身のはじくり作業。また一人音が出て、ほかの子どもは焦っています。きれいに中身を出せても、音が出ない子どもは真っ赤な顔をして息を吹きかけています。

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とても簡単な自然の素材を使った遊び。笛を吹けた子どもの勝ち誇った顔と、保護者が夢中になっている姿を見つつ、自分が子どもの頃は、季節ごとに植物の花や実を使って色んな遊びをしていたなと思いながら、思わずほほ笑んでしまいました。この子たちが大人になったとき、自分の子どもと一緒にドングリ遊びをしてほしいと願います。

 

さて、9月の活動で仕掛けたスズメバチトラップを回収すると、期待通りにオオスズメバチが入っていました。

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6か所しかけたうち、3か所だけしか見ませんでしたが、スズメバチの形が崩れているのも含め、20数匹がトラップにかかっていました。昨年よりちょっと少ない気がしましたが、今年の猛暑と関係しているのでしょうか。

先月、このブログでスズメバチトラップを紹介しましたが、お読みいただき試された方がいらっしゃいましたら、是非報告いただければ嬉しく思います。

 

「奉仕」と「ボランティア」

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 ヨメナが咲き、あの夏の猛暑が嘘のように、朝方の冷気で目が覚めます。雑木林では、タマゴダケが白い殻を破って赤い傘を開いています。秋です。

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 自分たちが活動している緑地で、9月~11月に5回ほど、都立高校2年生の「奉仕」の授業を受入れ、草刈りや古くなった落葉だめの取り換え作業を行っています。

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20名ほどの生徒のうち、7名は女子。自分たちの活動以外で授業を受け入れる団体では、商店街のイベントの準備や福祉施設でアロマセラピーなどを行っているところもあったので、きっと女子は他の団体に希望したけど、希望者が多くて、こちらに仕方なくやってきたのだろうか?と思って訪ねると、全員が身体を動かしたくて、この活動が面白そうと思って希望したとのこと。ちょっと驚きでした。

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 1回目の授業では、里山の自然と人の関わりを、衣食住を通して説明し、2回目は活動場所周辺の神社や歴史的建造物が残る場所を案内した後、作業を行いました。さすがに高校生ともなると、話を聞いているのか!と特に男子に思うことも。

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作業でも、しっかりやるのは女子。男子はちょっと草刈りしては、さぼってお喋り。その都度、ボランティアからしっかり仕事しろ!と怒られています。なかには、カマキリや蛇をつかまえて大喜びしている男子たち。作業どころではありません。それでも、鎌砥ぎは夢中になる作業のようで、全員が面白いと答えています。なぜでしょう。

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 それにしても、「奉仕」という授業名に、違和感を覚えます。自分たちの活動はボランティア活動で、奉仕活動ではないと思っています。ともに無償の活動ではありますが「奉仕」には、自分の時間を犠牲にして誰か困っている人につくすという上から目線的な感覚があります。それに対し「ボランティア」は自分の都合に合わせ、出来る範囲で出来ることを行うことにより、自分の心が豊かになる活動と思っています。ボランティア活動に参加している方は、誰も奉仕活動とは思っていないでしょう。ボランティア活動には、winwinの関係が成立しますが、奉仕活動は、片方だけのwinのような気がします。

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阪神大震災はボランティア元年とも言われ、以降、社会構造のひずみを埋める重要な役割としてボランティア活動が認識されるようになり、今では学校の授業に取り組まれるようになりました。しかし、「奉仕」という名の授業では、生徒たちはボランティア活動の真の意味を理解することは無く、授業だから無償の作業に参加したとしか思わないでしょう。そもそも、授業に取り組むべきかは、別の議論ではありますが。

 

ボランティア活動体験を教育として授業に取り入れる際、お偉い方たちが授業名を色々議論され「奉仕」となっと想像されますが、何とも時代錯誤的な頭の固さを感じてしまいます。いじめや不登校の問題がなかなか解消できないのも、このあたりのギャップが一因なのかも?なんて思ってしまう出来事でした。

 

 

十五夜

 

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萩の花が秋の訪れを伝えています。

山で過ごした赤トンボも里に下りてきてました。飛びつかれたのか、じっと休んで近づいてもまったく動きません。

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世田谷区岡本にある、区立岡本民家園。江戸時代の農家の古民家が移築され、公開されています。ここは、家は使って維持されるという考えのもと、囲炉裏には毎日薪がくべられ、煙で屋根裏をいぶし、誰でも自由に家の中に入ることができます。

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柱、土壁、茅葺屋根。昔は里山にはどこにでもあった物を上手に使って家を建て、虫を発生させないよう、囲炉裏で煙をいぶす。日本人の知恵が古民家にはつまっています。ここに来ると、なんだかほっとするのは、日本人として生まれたDNAなのでしょうか。住んでみたいなとちょっと思うのですが、古民家は、夏を涼しく過ごすように作られているため、冬はとても寒く、実際に住むことはしんどいかもしれません。

この民家園では、1年を通じ、日本の伝統的な行事を再現していています。先日訪れたときは、十五夜のお供えがありました。

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ススキにオミナエシの野草が飾られ、十五個のお団子に、芋や秋の味覚を供えてあります。ススキは農耕儀礼で豊作を祈願するため、古代から使われてきました。長野県のあるところでは、今でも田の神に豊作を祈願するため水田にススキを立てる風習が残っているそうです。また、台湾では悪い夢を見るとススキでお祓いをするという話を聞いたことがあります。

ところで、十五夜といえば白い団子。でも、元々は月見にはサトイモが使われていたそうです。関西では団子の一部を尖らせるところもあるようで、これはかつてサトイモを使っていた名残ではと言われています。

岡本民家園の供え物で?と思ったのは豆腐。世田谷では昔から豆腐を供えていたと言われていますが、何故かということはわかっていません。きっと芋や栗、柿などの作物より小さい大豆は、豆腐にしてお月さまに供えたのでしょう。

十五夜のお供えは、日がたつと徐々に団子の数や果物などが減っていったとか。子どもたちが親の目を盗んで食べたそうですが、お月さまがお食べになられたと言って、おとがめがなかったとも言われています。なんともほのぼのとする話です。

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衣食住、自然の恵みを上手に、枯渇させずに使ってきたかつての日本人の暮らし。ハロウィン、クリスマス、バレンタインデーなどの行事より、里山の文化や風習、その意味について次の世代に引き継いでいくことはとても大切なことと思っています。

それにしても、今夜は台風。お月さまはお団子を食べることができたのでしょうか。