森林ボランティアの安全技術と技能
8月3日(土)、イトーキ東京イノベーションセンターSYNQAで開催された公開シンポ「森の技術と安全ー森林ボランティア新時代の安全を考える」に参加しました。
森林ボランティアの増加にあいまって、間伐されずに放置された樹木も大径化したため、チェーンソーや刈払い機の使用も増え、それに伴い重大事故が増えています。
自分たちの活動では、原則、ノコやカマ、ナタなどの手道具を使用していますが、どうしても作業量が多い時に限り、講習を受けた者が動力を使って処理することがあります。どうも男性は機械好きが多く、チェーンソーを使いたがるところがありますが、正しい使い方を知らないと、思いもよらない事故が起こり、それが原因で活動が休止に追いやられることさえ生じてきます。林業はキツイ、キケン、キタナイ3K職場と言われ、産業別死傷事故率は最上位となっています。でも、正しい知識と技術・技能を備えていれば防げることが多いものばかり。安全技術と技能の習得は、プロもボランティアであるアマもありません。
8年前、学識経験者や林業家、森林ボランティア団体のリーダーなどが集い、ボランティア活動に参加する者に、森づくりの安全技術や技能を正しく身につけ、事故なく楽しく作業してもらいたいと、「森づくり安全技術・技能全国推進協議会」を立ち上げ、自分も末席ながら関わらせて頂いております。協議会では、技術・技能の習得を目指してもらうため、ランク1~5を設定し、審査して認定する制度を作りました。ランク1は、制度の感心を高めてもらうため、はじめて森づくり活動に参加した者に与えます。ランク2はノコやナタなど手道具における安全技術・技能、ランク3はチェーンソーなど動力作業における技術・技能を備えた人に与えます。ランク4以上は指導者の審査となっています。紆余曲折がありましたが、やっと体制も整い始め、まずは多くの森林ボランティア団体にこの制度の趣旨を理解いただき、参加してもらうために、ランク1の層を広げることが急務となっています。
この日の午前中は、協議会の年次総会が同じ場所で開催され、その続きで公開シンポを開催しました。全国各地から森づくり活動を実践している方々などが150名以上集い、感心の高さがうかがえました。パネルディスカッションでは、森づくり活動を活発に実践しているNPO団体の代表がパネラーとなり、どのような安全対策をしているかなどの事例紹介をしました。
また、パネルディスカッションに先立ち、元信州大学演習林の教授で、退官後は信州伊奈で林業塾を開講し、多くの森林ボランティアを育てている島崎洋路氏を招き、林業エッセイストの浜田久美子氏を聞き手に基調対談が行われました。昭和3年生まれの島崎氏は日本の林学会の草分けであり、その温和な人柄は多くの門下生を育て、今も元気に日本の林業の発展に尽力されています。
現在、日本の林業従事者は5万500人(平成22年度林業白書)で、平均年齢が60歳以上という高齢化となっています。また、木材価格の下落により採算がとれず、間伐が放棄されています。先日公表された平成24年度の林業白書では、昭和56年に立木1㎥あたり、スギは22,707円、ヒノキは42,947円もしていたのですが、現在はスギ2,600円、ヒノキ6,856円となっていて、到底伐採して山から運び出す費用が賄えません。しかし、木は生きているため、年々成長して太っていきますから放置し続けると、いざ間伐をしようといっても容易ではないことが想像されます。島崎洋路氏によれば、日本の人工林を整備していくには、木を育てる数は15万人、伐採作業などには10万人、少なくとも20万人は必要ととのこと。現在、林業に従事している者は5万500人。まったくの人材不足と嘆きます。国は日本の国土の将来を真剣に考え、林業従事者を育てる取り組みをもっと充実させる必要があります。
森林ボランティアで日本の森を救えるか?と問われると、月に1~2回の週末程度の活動では焼け石に水で到底無理と答える方も多くいます。確かにそうだと思います。
農業や漁業は食に関わるものだけに、誰もが関心を示しますが、林業は暮らしに直結していないため、関心が低いことも林業問題を解決できない要因の一つです。
しかし、このまま問題を先送りしていると、近い将来、国土保全面など様々な危機が訪れるでしょう。島崎氏いわく、問題は山積み。問題を話していても始まらない。後はやるかやらないか。どれをどうやるかだ。やるべきことは見えている!と訴えます。全くの同感。何もやらないより、やったほうが確実に前進するわけですから、一人でも多くの者が森に入り、森の現状を知り、林業問題を自分のこととして感じ、将来を憂う人を増やし、世論を高め、国を動かしていくことが必要と考えます。そしてその中から一人でも林業に携わる者が現れてくれる可能性もあると考えると、森林ボランティア活動のもつ意義も大きいのではないでしょうか。
安全な技術・技能を身につけたボランティア活動の充実化を図ってまいります。
夏 生き物のにぎわい
ボランティアの方たちと、生き物が多く生息する緑地を守る活動をしています。
夏は日ごろの活動の成果を実感できる季節です。
この日の活動は、湧水の水路に繁茂したセキショウの間引きと、広場の草刈り。
セキショウを間引くことで、水面に光があたり、トンボもやってきて卵を産んでくれます。水温が年間を通して16℃のため、手をつけるとヒンヤリとします。
羽化したてのオニヤンマが高く舞い上がっていきました。しばらくすれば、縄張りをパトロールする姿も確認されるようになるでしょう。
この日は、少し離れた広場でオナガサナエがじっと休んでいました。このトンボは、尾の先端が特徴的です。警戒心が薄いのか、かなり近寄ってもじっと動きません。
小一時間の作業で、水面が見えるようになりました。
続いて広場の草刈り。こちらは炎天下の中の作業となります。色々なバッタが住める環境を作るため、草の刈り高を所々変えました。
汗びっしょりになりながら、刈り終わったときの達成感はなんとも心地よい疲労です。ショウリョウバッタやオンブバッタ、トノサマバッタなど、色んなバッタが草むらを飛び回り、それを捕食するカマキリなどなどが見られる原っぱとなりました。
翌々日の朝、再び緑地に訪れてみると、羽化途中のニイニイゼミに出会いました。
今年はセミの出現が遅いかなと思っていましたが、梅雨明けが早かったから、そう感じるのでしょうか。
林の中を1時間ほど昆虫採集をして戻ってみると、見事に殻から抜けだして羽を乾かしていたところでした。セミも頑張って生きているんだなーと思いつつ、羽化したての透き通った美しい姿をしばらく眺めていました。
気付くと、ミンミンゼミも泣き始め、夏本番になったことを実感させられます。
一人のボランティアさんが、大きなヒダリマキマイマイを持ってきました。
大きいから持ってきたのかと思ってたら、とても珍しいものを見つけたからと、差し出された小ビンには、中には白くて細長いものが入っています。
恋矢(れんし)と呼ばれるもので、カタツムリの歌の歌詞にある「角出せ、槍出せ、目玉出せ」の槍だろうと言われているものです。
カタツムリは、お互いにこの恋矢を出して相手を刺激しあいながら交尾を行います。交尾が終わると捨てられますが、石灰質のためカタツムリの栄養分として食べられることが多く、めったに見ることがありません。こんなに奇麗で立派な恋矢を見たのは本当に久しぶりでした。
梅雨から7月は、生き物が一段と賑わいを増す季節です。補虫網を持って里山に入ると童心に戻り、あっという間に楽しい時間が過ぎてしまいます。50年後の子どもたちも、カブトムシやクワガタ、チョウやバッタを追いかける林が残されていることを願っています。熱中症に気をつけながらの作業がまだまだ続きます。
実篤記念館
梅雨が明けた関東地方の七夕。
思いっきり、夏!という晴天となりました。
東の空に浮かぶ、ベガとアルタイル。今日は織姫と彦星が無事にあうことができるでしょう。
そういえば、かつて七夕に何で笹を使うのかという質問を受けたことがありました。
日本や台湾、中国、ベトナムなど稲作文化のあるところでは、竹や笹は中が空洞ということで、神様が宿る木と言われ、お祓いなどの道具として使われてきました。
台湾では、今も豊作を祈願するのに、田んぼの端に笹を立てる風習が残っていたり、日本でも地鎮祭の時に、笹を四方に立てたり、とても人の暮らしの関わりに深い植物です。
七夕の笹も、神様や祖先が宿る木に願いをかけるということにあやかったことでしょう。それにしても、七夕は中国から伝来した、手芸や文字、芸能の上達を願い行事だったものと、豊作を願う「種播(たなばた)祭り」がミックスされたものだそうですが、今日のように、願い事なら何でも良いっていうようになったのは、一体いつ頃なんでしょうか。飾られてた短冊には「いぬになりたい」という???な願い事に思わず笑ってしまいました。
新しき村で知られる、白樺派作家の武者小路実篤が晩年住んだ屋敷を公開している、調布市の実篤記念館。久しぶりに行ってきました。
ここは、大昔の多摩川が削ってできた河岸段丘の「国分寺崖線(こくぶんじがいせん)」と呼ばれる、立川から小金井、調布、世田谷、大田区まで続く、崖の斜面林で、林の中に湧水池があり、武者小路実篤が住んだ家も公開されています。
梅雨の名残のアジサイが咲いている隣では、ザクロやムクゲなど、夏の花が咲き始めています。よく見ると、その近くでは、もう秋の花であるハギが咲いていました。
もう少し、梅雨を楽しみたかったなと思いつつ、園路を進むと、その先の湧水地では
とても貴重なヒカリゴケが黄金の色を輝かせていました。ヒカリゴケが発光するのではなく、レンズ状の細胞が光を反射させて光を放つのですが、大気汚染や水質汚染、乾燥など、非常に環境の悪化に敏感なため、都会でヒカリゴケが見られること自体がとても珍しく、この公園の見どころとなっています。初夏から秋が最盛期なので、まさに見るのは「今でしょ」といった感じです。
この公園は、シダ類も多く、ヤブソテツ、ベニシダ、イノモトソウ、カニクサ、オモトなどのほか、葉の表と裏が同じような、リョウメンシダも見られます。
元々は薪や腐葉土を採っていた雑木林で、定期的な管理が行われていた林だったのですが、実篤が住み始めてからは、自然のままにしていたということで、徐々に冬でも葉が落ちない、マテバシイやシラカシ、ツバキなど、常緑の木が増えています。低木類では、神棚に飾るサカキが多く見られます。
実は、この木は、正式名称は「ヒサカキ」。サカキは西日本に多く、関東にはあまり生息しないことから、ヒサカキをサカキの代用として使っています。
ここでは、ヒサカキの隣に、サカキが仲良く生えていました。サカキは葉のふちが丸く、ギザギザ(鋸歯)がなく、爪のようなものがあるのが特徴です。
関東地方で代用している木はサカキにあらずということで、「否サカキ」という名前を付けたと言われています。
林の外はうだるような炎天下でしたが、時折涼風が頬を伝う林に囲まれ、湧水の池の周りに佇んでいると、自分もなにか書けるような錯覚を覚えた自然観察でした。
間伐体験イベント
ミシミシ、ギシギシ、ググググ、ドッシーン・・・ウォー!!パチパチパチ。
ヒノキの良い香りが漂う森林で、木が倒れた瞬間、歓声があがります。
6月9日の日曜日、私たちが行っている日本の森林を元気にする活動で、都心で暮らす人たちに、山の管理の大切さを知っていただくため、間伐体験イベントを、多摩川源流の山梨県小菅村で開催しました。この村は10年前は1000人以上も暮らしていましたが、仕事が無いため転出が進み、今では700人台まで人口が減少し、過疎化が進んでいます。
参加者は都心で暮らす10代~60代までの15名。みなさん初めての間伐体験です。
今回は、月に2回、都心からやってきて山の管理活動を行うボランティアグループの小菅村木こり倶楽部の方たちに指導をお願いしました。
準備体操の後、3グループに分かれ、各グループ1本のヒノキを伐採します。用意ができたところで倒す方向を決め、木を倒す補助ロープを木にかけます。ロープを左右に持ち、波打つようにゆるめると、反動で木の上に上がっていくのですが、コツがいるので初めてでは中々うまくいきません。プロは片手であげるそうですが。。。
ロープかけをしたら、安全に十分気を配りながら、交代でノコギリをひきます。徐々に傾きはじめたら、切っている人は安全な場所に退避し、他の人がロープを引きます。すると、ミシミシ、ギシギシ、ググググ・・・とゆっくり倒れはじめ、バッシーンという音が山に響き木が横たわります。倒れる瞬間を見た参加者は、そのダイナミックさに思わずウォー!と声が出て、無事に倒れたら自然と拍手が起こります。間伐体験イベントでは、必ずウォー!パチパチ!が見られます。
木の枝を切り取り、4mに切り揃え、担いで一か所に集めたら作業は終了。達成感で自然と笑みが浮かびます。続いて木の皮剥ぎ体験。春から夏にかけ、スギやヒノキは水を沢山吸い上げるので、女性でも皮を引っ張ると面白いように簡単に皮が剥がれます。奇麗に丸裸にされ、真っ白でツルツルした肌をさらした丸太は、手触りがなんとも気持よく、気付けばみなさん皮剥ぎ作業に夢中になっています。
お昼は、その日の朝に採れた山菜をはじめ、鮎、鹿肉、赤米などなど、小菅村の山の幸をふんだんに使った多摩川源流弁当に下鼓。木こり倶楽部さん特性の具だくさん味噌汁も振る舞われ、とても幸せなランチタイムとなりました。本当に美味しいお弁当で、残飯を片づけたスタッフから、何も残ってなかったと報告を受けました。ちょっと値は張りましたが正解でした。イベントではお昼を充実させることは参加者満足度の重要な要素です。
午後は、最近オープンした森林冒険アトラクションの「フォレスト・アドベンチャー」や、弱アルカリ性でお肌がツルツルになる「小菅の湯」をオプションで用意しておりましたが、親子連れの参加者以外は、皆さん引き続き間伐体験を希望されました。今度は2グループに分かれてそれぞれ間伐と皮剥ぎ作業を行ったところで、イベント終了1時間前になったので、汗を流すため温泉に入ることにして作業を終えました。
戦後間もないころは、銀行にお金を預けるより儲かると言われ、国の拡大造林施策のもと、50年後には大金持ちになっていると夢みながら、山の隅々までスギやヒノキの苗が植えられました。ところが、70年代以降、安い外国産材が入ってくるようになり、また、2×4や軽量鉄骨住宅などの流行で、日本の木材価格は低迷してしまいました。今では立木1本2000円~3000円程度と、日本の林業は衰退してしまいました。
スギやヒノキの人工林は、畑でダイコンやニンジンを育てるのと同様、たくさん植えて成長を競争させ、育ち具合をみながら適度に間伐(間引き)することで、健全で太くて真っ直ぐな木が育ちます。昔は建築現場の足場や電信柱に使われましたが、今では需要がなく、間伐しても採算が合わないのでそのまま山に放置される「切り捨て間伐」が主流となっています。でも、間伐されるのはまだ良いほうで、間伐されずヒョロヒョロな木が密生したところも沢山見られます。密生した山は、地面に太陽の光が差し込まないので草も生えず、土がむき出しになって保水能力を低下させます。雨が降れば水はそのまま土をけずりながら斜面を流れ、一たび台風がくれば、切り捨てられた丸太も転がり落ち、家屋を壊す被害が起こります。増水した川の映像に、時々丸太も流されているのを目にすることがあります。
多くの人が日本の林業に目を向け、少しでも日本の木材を使う暮らしが増えれば、山の管理が進み、草が生い茂る山に戻り、生物多様性の環境も復元されていくでしょう。そして保水力も高まり、洪水の被害も減少されます。何よりも山の雇用が生まれることで地域が活性化するので過疎化を防ぐことができ、山里で培われてきた人と自然が関わって生きていく知恵や文化が継承されていきます。なんとか、今の悪循環を断ち、未来の子どもたちへ豊かな自然を残していきたいものです。
晴天に恵まれ、山を渡る爽やかな風がそよぐなか、フィトンチッドが充満するヒノキの森での間伐体験作業。心と身体の森林浴を楽しんだ一日でした。
あっという間に梅雨
5月、ゴールデンウィークの頃の新緑が、たった30日間で緑が濃くなっています。
ウツギやエゴノキなど、5月の花が続々と見ごろを迎えていますが、今年は落ち着いて愛でる余裕がありません。白くて可愛らしい花をたくさん咲かせるエゴノキは、自分の好きな花の一つ。そろそろ実が膨らみはじめています。実は、この実はエゴノキサポニンが含まれているので、バケツに水を入れ、この実を入れてかきまぜると石鹸になります。川に流すと魚がしびれて浮かんでくるという話を聞いたことがありますが、自分は経験はありません。
桜並木では、食べられないサクランボがたわわに実っていました。美味しそうにみえるんですが、味がありません。
雑木林では、クワの実もなりはじめていました。あと1週間後が食べごろでしょうか。あまり食べる人もいないので、鳥たちはお腹いっぱい食べることができるでしょう。ある日、突然、あんなについていた実がまったく無い!ということがしばしばあります。
公園では、ナワシログミの真っ赤な実を発見。甘酸っぱさが自分好みですが、種が大きいので、そんなに果肉が無いのが残念です。丁度今が食べごろで、摘まんでいると、下校途中の子どもが興味深々で近寄ってきたので、採ってあげたら、酸っぱいけど美味しいと喜んでいました。
住宅街の古い家には、ビワがたわわに実っています。あと少しで食べごろでしょう。昔は、初夏の八百屋さんには、必ず並んでいたものでしたが、最近あまり見かけなくなりました。ビワの葉は自然療法をされている方には、とても効用があると重宝がられます。ドクダミも毒や痛みを取るということが名の由来ですが、自然物から病気や怪我などを治してきた先人の知恵を残していきたいものです。
この季節、庭木で実がなる代表格といえば、梅でしょうか。今から20年前の冬、つぼみを付けた梅の木を剪定されていた農家の方から頂いてきたのを、今は亡き母親が玄関先に植えたものですが、気付けば大きく育っていました。
まだ若い木のため、新芽と同時に蜜がたくさん出るので、アブラムシがたくさん付くのですが、それを食べるテントウムシの幼虫も沢山みられます。先日、剪定していると、向かいのお宅からご主人が現れ、話しかけられたので、アブラムシが沢山出て、葉先がやられてしまったから、枝を切っていると話したところ、そういえば、時々、小鳥が沢山群れているのは、アブラムシを食べにきているからだったのかと言われましたが、きっとテントウムシの幼虫を食べにきているのでしょう。アブラムシ→テントウムシ→小鳥という、小さな生態系が玄関先の1本の木で育まれています。
若くて勢いがすごいので、冬の前に花芽ができているのは知っていても、正月前にさっぱり切り落としていたのですが、あまりにも花がさびしいので、今年は沢山さかせようと、剪定を我慢していたら、4月になっても咲き続けて楽しませてくれ、その分、梅の実もたくさんなっていました。
あまりにも沢山とれたので、今年は梅酒を作ることにしました。実に7年ぶり。左側は、7年前に緑地保全活動をしていた緑地から持ち帰った実をつけた梅酒。よほどのことがない限り飲まなかったので、古酒となっています。
一度凍らせてから砂糖をつけると、美味しくなるという話を聞きましたが、冷凍庫は凍らすスペースもないし、この量の梅を処理したいので、一気に梅酒を作りました。
春に花を咲かせた草木は今が実のシーズン。毎年あちらこちらで食べられる実を見つけては、摘まんで楽しんでいます。そういえば、カラスも子育ての季節でした。今日は樹林地の近くを歩いていたら、カラスが音もなく後ろからやってきて、頭をかすめていきました。みなさん、カラスの不意打ちにお気をつけください。
ひたすら薪づくり
2月に行った、里山の若返りをするためのコナラの木の伐採イベント。
参加者全員、交代しながら大きなノコで大きな木を切りました。
イベントでは、切ったところで終了だったので、その後の作業もお手伝い頂ける参加者の方に協力いただき、3月4月に枝を払い、1.8mほどの長さに切りそろえる玉切りや薪割り作業に心地良い汗を流しました。
作業後は、ダッジオーブンでピザを焼いたり。食べる楽しみは大切です。
日ごろなまった体を、美味しい空気のなかで動かすと、とてもリフレッシュできます。
今年の秋から薪をお分けすることを目指し、5月になっても、暇を見つけては、せっせと薪割り作業を続けています。
自然エネルギーとして、薪を少しでも使う暮らしが広まれば、間伐されず、花粉症の元凶となっているスギやヒノキの人工林や、若返りが必要な荒れた里山の雑木林が再生し、生物多様性のある自然環境が戻ってきます。
薪ストーブを販売されている方の話では、原発事故以来、薪ストーブを導入する家庭が着実に増えているそうです。でも、煙が洗濯物に臭いがつくという苦情や、煙=ダイオキシンという風評、火事の懸念などから住宅が密集している都会ではなかなか利用が広まりません。メンテナンスをちゃんとしていれば火事の心配は無く、夕方から薪ストーブを焚けば洗濯物の臭い苦情も無いだろうし、焼き鳥屋さんやホルモン焼き屋さんに行けるなら、ダイオキシンは気にならないはずなのですが。。。
原発由来の電気や石油を使う暮らしから、木質エネルギーを少しでも使う暮らしにシフトすれば、自然環境が豊かな、保水力も十分に蓄えられる山が再生され、何よりも山村の過疎化も防げることでしょう。先日、林野庁は日本の木材を使った家を新築・増築する人や、木造家具や木質ペレットストーブ、薪ストーブの製造者などに1ポイント1円のポイントを与える木材ポイント制度を始めました。
自分たちが行う活動は、薪を使う暮らしを普及することで、山の自然環境を保全するとともに、農山村の活性化と過疎化の抑制を目指しています。このため、活動を理解いただくイベントを行いつつ、薪割り作業を続けています。また、自分たちが作る薪の安全性を確認するため、薪と灰の放射線検査も行っています。夏日となった先週の日曜日も、バーベキューでもないのに、強い太陽に照らせれるなか、灰を作りました。
都会に住む人が少しでも日本の木材を使えば、あっという間に山に関する諸問題は改善されるはずです。
良い薪できてます!とこの秋に言えるよう、まだまだ薪割り作業は続きます。
春 里山の野草
気がつけば、もう4月も終盤。年度末から新年度にかけ、バタバタしているうちに、ブログの更新も遠ざかっていました。
この時期は、意識していないと、里山のスプリングエフェメラルを見逃してしまい、翌年まで待たねばならないため、ちょっとでも時間が空いたら、フィールドに行くように心がけています。
4月3日、2月にボランティアの方たちと下草刈りと落葉かきを行った斜面で、今年もカタクリが沢山咲きました。ただ、例年は3月28日~4月3日頃がピークを迎えているのですが、今年はもう盛りを過ぎていました。毎日開花状況を確認していただいているボランティアさんの話では、3月25日がピークだったそうです。
それでも、まだ多少、朝日を浴びて、花弁をそり返した美しい花を見ることができました。
その足で、これも2月に下草刈りを行った、イチリンソウ自生地を確認しに行くと、今年はもう咲き始めていました。20年前は数株しか咲いていなかったところを、地域の方と一緒に下草刈りを行ってきた結果、今では大きな群落地となり、地域の宝物として見守られています。こちらも例年ならゴールデンウィークあたりがピークとなるのですが、22日に再度確認に行くと、もう盛りを過ぎてしまっていました。
カタクリやイチリンソウなどは、春の一瞬だけ花を咲かせ、あとは地上体は枯れて翌年まで眠ってしまうため、春のはかなき夢とか、春の妖精という意味でスプリングエフェメラルと呼ばれていて、あやうく今年は見逃してしまうところでした。
イチリンソウの咲く場所に隣接する雑木林では、2株のイカリソウも自生しています。あまり公表していないので、知る人ぞ知る場所なのですが、今年も1株に船の錨のような花を咲かせているのが確認できました。この数年、タイミングが悪く花を確認することができなかったのですが、盗られずに咲いてくれたかと、ホッとしました。
15日、町田のフィールドでは、クマガイソウを初めて確認しました。こんなところにあったか?と思うような所に咲いていて、植えられたものなのか、自生のものなのか定かではありませんが、これからも見守っていくことにします。
22日、雑木林の林縁では、沢山の着物を重ねた十二単に花を見立てた、その名もズバリのジュウニヒトエや、日本在来のカントウタンポポが盛りを迎えています。
林の中では、キンランやエビネも咲きだしました。やはり今年は花が例年より早いようです。
都会では貴重となった野草が、世田谷にはまだチラホラ確認することができます。
人が下草刈りや落葉かきなど、生活するために自然と関わってきた時代の遺産でもある里山の植物たち。生活様式が変化し、里山との関わりが薄れてしまった今、可憐な野草が減少の一途をたどっています。86万人が暮らす世田谷も、かつては田園風景が広がる農村地帯だったため、その名残で都市で辛うじて里山の植物が自生しています。
毎年この季節に思うのですが、貴重な野草を多くの人たちと協力しあい、守っていくため、この植物を守ろう!と公表すれば、心無い人に盗られてしまう恐れが付きまといます。さりとて公表しなければ、いつまでたっても多くの人が守ろうという意識も芽生えてきません。鳥のように移動できない野草を守るジレンマです。イチリンソウの自生地のように、地域の宝物として、地域で守り育む仕組みづくりが急がれます。
さて、今年の春も、もう少し野草を捜す日々が続きそうです。筍も旬を迎えました。