紫陽花
鎌倉のアジサイもピークを迎え、24日の日曜日は、アジサイ寺で有名な成就院には、多くの人が訪れたと、今朝のニュースで紹介されていました。土壌が酸性だと青色、アルカリ性だと赤色になるというのは、昔学校で習った気がします。
学生時代は木の勉強をしていたので、今の仕事に勤め始めたときは、さぞや植物には詳しいのだろうと、周囲の方から期待されていたのですが、学生時代の勉強はスギやヒノキ、マツのこと。樹木学という科目もありましたが、針葉樹と広葉樹くらいの差はわかるものの、後はどの木も同じようにみえているような有様でした。
困ったなーと思いつつ、とりあえず毎晩植物図鑑を見ながら床につきましたが、花弁が何枚、葉に鋸歯がある、葉柄がうんぬん・・・頭に入らず3ページも読んでいると、そのまま夢の世界への毎日でした。さてどうしたものかと思っていたアジサイの咲く季節、ある方からアジサイにまつわる話を聞いたことがきっかけで、植物を身近に感じ、それ以降、どんどん植物に関心が向くようになりました。
その話は、ご存じ幕末にオランダ人と偽って長崎出島にやって来た医者で博物学者のシーボルト。彼は日本滞在中、お滝という女性を結婚し、愛娘を産みますが、スパイ容疑で日本から追放されてしまいました。オランダに戻ったシーボルトは、日本から持ち帰ったアジサイの一種にHydrangea otaksa (ヒドランゲア オタクサ)と学名をつけました。シーボルトはお滝さんと発音できず、オタクサと呼んでいたいたそうで、遠く離れ離れになってしまっても、日本に残したお滝さんを慕い、アジサイにオタクサと命名したというもの。なんともロマンスあるエピソードを聞いてから、植物と人にまつわる話などに関心が高まり、気付くとたくさんの植物の名前を覚えることができました。
それにしてもアジサイは、中央にある両性花(種をつくる)の周囲に装飾花(種ができない)がある一重額ぶち咲というガクアジサイが原種で、そこから交配を繰り返し、とても多くの園芸品種を作り出されてきました。江戸時代の日本人の園芸技術は世界一だったと言われ、幕末に来た多くの外国人が、貧困層でも花を愛で、軒先に植物を植えていることに驚いたそうです。
フランスでは、アジサイのことを「ホルテンシア」と言うそうですが、これもオルタンスという女性の名前からつけられたと、異端のフランス文学者と言われた澁澤龍彦が紹介しているそうです。
咲き始めから終わりまで、刻々と花の色を変えることから、アジサイの花言葉は「移り気」。この花に魅了される男性が多いことも、なんとなく解かる気がします。
アジサイを見ると、植物が苦手だった当時の自分を思い出します。