「奉仕」と「ボランティア」
ヨメナが咲き、あの夏の猛暑が嘘のように、朝方の冷気で目が覚めます。雑木林では、タマゴダケが白い殻を破って赤い傘を開いています。秋です。
自分たちが活動している緑地で、9月~11月に5回ほど、都立高校2年生の「奉仕」の授業を受入れ、草刈りや古くなった落葉だめの取り換え作業を行っています。
20名ほどの生徒のうち、7名は女子。自分たちの活動以外で授業を受け入れる団体では、商店街のイベントの準備や福祉施設でアロマセラピーなどを行っているところもあったので、きっと女子は他の団体に希望したけど、希望者が多くて、こちらに仕方なくやってきたのだろうか?と思って訪ねると、全員が身体を動かしたくて、この活動が面白そうと思って希望したとのこと。ちょっと驚きでした。
1回目の授業では、里山の自然と人の関わりを、衣食住を通して説明し、2回目は活動場所周辺の神社や歴史的建造物が残る場所を案内した後、作業を行いました。さすがに高校生ともなると、話を聞いているのか!と特に男子に思うことも。
作業でも、しっかりやるのは女子。男子はちょっと草刈りしては、さぼってお喋り。その都度、ボランティアからしっかり仕事しろ!と怒られています。なかには、カマキリや蛇をつかまえて大喜びしている男子たち。作業どころではありません。それでも、鎌砥ぎは夢中になる作業のようで、全員が面白いと答えています。なぜでしょう。
それにしても、「奉仕」という授業名に、違和感を覚えます。自分たちの活動はボランティア活動で、奉仕活動ではないと思っています。ともに無償の活動ではありますが「奉仕」には、自分の時間を犠牲にして誰か困っている人につくすという上から目線的な感覚があります。それに対し「ボランティア」は自分の都合に合わせ、出来る範囲で出来ることを行うことにより、自分の心が豊かになる活動と思っています。ボランティア活動に参加している方は、誰も奉仕活動とは思っていないでしょう。ボランティア活動には、winwinの関係が成立しますが、奉仕活動は、片方だけのwinのような気がします。
阪神大震災はボランティア元年とも言われ、以降、社会構造のひずみを埋める重要な役割としてボランティア活動が認識されるようになり、今では学校の授業に取り組まれるようになりました。しかし、「奉仕」という名の授業では、生徒たちはボランティア活動の真の意味を理解することは無く、授業だから無償の作業に参加したとしか思わないでしょう。そもそも、授業に取り組むべきかは、別の議論ではありますが。
ボランティア活動体験を教育として授業に取り入れる際、お偉い方たちが授業名を色々議論され「奉仕」となっと想像されますが、何とも時代錯誤的な頭の固さを感じてしまいます。いじめや不登校の問題がなかなか解消できないのも、このあたりのギャップが一因なのかも?なんて思ってしまう出来事でした。