晩秋の寺町散歩
何故か、人気のいないお寺や神社を訪れると、心が落ち着きます。
しんと静まり返った空間だけでなく、目に見えぬ何かに包まれているような感じがしてなりません。
晩秋の休日、十数年ぶりに烏山寺町を散歩してきました。
ここは、関東大地震によって上野周辺にあった多くのお寺が、烏山に移ってきたところで、今では東京の小京都と言われています。最近は、仕事で関係のあるお寺した行くことは無かったので、たまたまポッカリと時間が空いたのを幸いに訪れました。
メイン通りから横に入ったところにある小さなお寺。山門の名に惹かれます。聞くところによると、この木戸、幕末の騒乱時に受けた傷があると言われていますが、風化しているせいか確認できず、虫が掘った穴だけ発見しました。
称往院の山門横には、昔、寺の弟子が打つ蕎麦が有名になりすぎて、修行に支障をきたすと当時の住職が蕎麦打ちを禁止した碑があります。どんなに美味しいものだったか、蕎麦好きの身には気になります。褒められると、勉強や仕事そっちのけで夢中になってしまうわが身を振り返ると、耳が痛くなります。
大きなケヤキが、伸び伸びと枝を伸ばしている専光寺。この墓地には、美人画で有名な浮世絵師の喜多川歌麿の墓地があります。
本名は北川。お花が絶えず供えられているそうです。グラビア雑誌など、美女メディア関係者には聖地なのでしょうか。寺町人気のスポットです。
続いて、幸龍寺。ここには、国歌に歌われる、さざれ石があります。石灰質の小さな石が、長い時間をかけて溶けだし結合した一つの岩となっています。千代に八千代に、苔むすまでって、いったいどんだけの時間なのか、想像もつきません。
築地の本願寺とよく似た妙祐寺。夕方は門を閉めて、犬を遊ばせていました。
門前のイチョウの黄葉が際立つ妙寿寺、山門をくぐると、東日本大震災で倒れた石灯籠が横たわっていました。地震の怖さと、東北の「今」に思いがめぐります。
鍋島藩主の御屋敷が移築され、お寺なのに独特の雰囲気を醸しています。
境内には、江戸時代の鐘も残されています。戦時中、金属は強制収容され、お寺の鐘はもっぱらの標的だったようですが、名工が作った代物のため、残ったと言われています。鋳造技術の巧みさ、見ただけでも解かる気がします。
のんびり歩いていると、気付けは3時間。寺町の最終地である高源院に到着。このあたりは、関東ローム層の浅いところに宙水という水がたまるところがあり、そこから湧き出た池がここにあります。このお寺の別名はカモ池。遠い昔、自転車の初めての遠出して、真冬に色んなカモを見にきたことを懐かしく思い出します。
今では、池が浅くなり、一面に繁茂したコウホネやスイレンのため、カルガモしかみられなくなってしまいました。その代わりに、いつの間にか増えた亀が天気の良い日は、並んで甲羅干しをするカメ池になっていました。
3時間の秋の小京都散策。まだまだ色んな見どころがあります。カモ池から出た水路を暗渠にした小径では、色々なツバキが咲き始め、冬の訪れを伝えていました。
なんとも浄化された気分になったのか、帰宅後のビールはいつもより美味しく飲みすぎてしまいました。合掌。